こくう、しんしん
半額楽しんでますか?
僕は放置狩りで忙しく過ごしてます。
待ちに待った周年イベント。
トレーラーの時点で激アツでしたし、内容も激アツだったと個人的には思います。
ただ、一つだけ我儘を言うのであれば"十天衆"という括り方をせずに、十天衆の各個人にスポットを当てて欲しかったです。
今回であれば"シスの過去"と"カトルエッセルの星屑の街を守る戦い"を中心にして"ウーノとシエテの過去を伏線として触れる"という形にして欲しかったです。
ソーンとオクトーに関してはシルヴァとナルメアのフェイトエピで登場する機会が多いので、スポットを当てる優先度は下がるかもしれませんが、一切触れられていないキャラに関してはもっと掘り下げて欲しい気持ちがあります。
あと2年ストイベやってください。
いや、やれ。
まだまだ我儘が続きそうなので本題へ。
開幕から激アツじゃないですか?
シエテとヴァルフリートの鍔迫り合い(カットとしては成立してないらしいですけど)から既にアツい。
ストーリー全体としてダレる(グダる)ことがほとんどないのは、やはり周年イベントとして気合いが入っているなと思いました。
後半に盛り上がりを持っていくために前半が少し控えめのようにも感じましたが。
トレーラー見たときはムゲンはとんでもないやつなのかと思いましたが(とんでもない強さには設定されてそうですが)、常時覚醒状態でないときは穏やかみたいで安心しました。
(それでも覚醒時はとんでもないですが)
他にも色んな観点から考えたり考察することの多いイベントですが、特に考えさせられたのはツイッターでも見かけたこのセリフ。
十天衆は"全空最強の武器の使い手"って設定をされてるだけあって、強大な力を持っている描写がされていて、その力に対して各々が各々の向き合い方をしている、というのが見た印象です。
その向き合い方は最終上限解放のための天星器戦、4アビ習得戦、極みスキン前フェイト、極みスキン戦で変化しつつ表現されています。極みスキンを取ったのでブログに文字として残しますが、エッセルのことセリフは的確に的を射ていると思います。
僕の思う十天衆の力への考え方はこうです。
ウーノ:力無き所に選択権はない、力は弱い者を守るためにも虐げるためにも使えるからこそ、力を持つ者を見極めなければならない
ソーン:力は恐怖の象徴、力を持つ者は周囲からある時は英雄/ある時は化物として見られ、どこか距離を置かれてしまう、
サラーサ:力は生き残る手段そのもの、そこに善悪の概念はない、弱肉強食がルールの野生の世界では"力がない"="死"だからこそ、最強であり続けなければならない
カトル:力は生き残るための手段の一つ、理不尽な力に対抗するために力を持ち使ってきた、けれど自分より大きい力を持つ者が自分に力を使わない場合にはどうしたらいいかがわからない
フュンフ:力は誰もに平等に使うもの、癒しの力だからこそ手が届く範囲は全ての相手に平等に与え、コントロールできるように強くなりたい
シス:力は道具であり恐怖の象徴、制御できる力は有用な道具だが制御できない力は自身も周囲も傷つけ破壊してしまう恐怖の権化
シエテ:力は生きる理由そのもの、強い相手と戦い自分の力を確かめさらに高みを目指し続ける、同時に使い方を間違えないようにその所在を確かめ続けている
オクトー:力は生きる理由そのもの、常に自身の限界を超え続けることに意味があり超えるための犠牲は厭わない
ニオ:力は表現する方法の一つ、自身の精神の安寧の保ち、健やかに過ごすための手段として使い、力を手に入れることに興味は薄い
エッセル:力は生きる手段の一つ、理不尽な力に対抗するために力を持ち使ってきた、力による負のサイクルから抜け出したいが、力を使わない解決の方法がわからずに悩んでいる
ここまでが4アビ習得までの考え。
そして極みスキン戦まで(取るつもりの人がいればここは読み飛ばしてください)
ウーノ:自分を超える力を持つ者が現れた時のために道導となり、そのものを見守り確かめるために使う
ソーン:自分を超える力を持つ者に追いつき、共に並んで戦うために力をつける、力を使う最大の目的を"大切な存在を守るため"と決める
サラーサ:自分を超える力を超える者に追いつくために力を求め続ける、同時に力を持つ意味を理解して無闇に力を使うことはなくなった
カトル:自分を超える力を持つ者を自身の目指す姿と考える、学ぶために挑み見つめていくことに決める
フュンフ:自身の力をコントロールし、できるようになったことをアピールする、自身の力の本質を理解しよりうまく使いこなすことを見せる
シス:自分を超える力も自身の力も恐れることがなくなった、自身の力を向上させることに後ろめたさはなく修行に励むようになる
シエテ:先に力を持った者として自分を超える力を持つ者を見守り確かめる、自身の力の追求も続けていく
オクトー:自分を超える力を持つ者が現れても変わらずに鍛錬を続ける、同時にその者が道を踏み外すことがないように見守っていく
ニオ:力に興味はなく自分の心の案内を求め続ける、そのための協奏相手に求めることが演奏の実力であって、戦いの力ではない力を求めていく
エッセル:自分を超える力で踏み外した道を戻してくれた者への感謝を示す、手にした力を正しくコントロールし使えることを見せることがその手段と思っている
ここまで書きましたが一オタクの解釈なので、合う合わないはあると思います。そこはご容赦ください。
そして後半。
一気に物語が進みましたね。
特にシスとネハンの一騎打ちは、思わず無言になってやってしまいました。
(このバフ演出はズルすぎる)
ネハンの抱える苦しみからカルム一族がとんなものか見えてきましたし、ネハンの最期をもって終焉を迎えてしまったのかなと思います。
入神湯を飲んだネハンと戦うことで、シスは過去に向き合い乗り換えることができたのではないかと思います。
何よりもこのジータちゃん(主人公)が仮面を取ってしまった後に、話をしてくれることがその現れなのかなと思います。
(ジータちゃんめっちゃいい笑顔)
どうして空は蒼いのか、みたいに続かなくていいから、十天衆にスポットを当てたイベントを今後もやってほしさがありますね…
で、バトル面。
イベント戦で天破の祈りが初登場しましたね。
闇背水なのにHP100%で通常攻撃100万が出るので、効果量の凄まじさを痛感させられますね(アルバハソロ楽になったらしいですね)
maniacは今回はパターンがわかれば、純粋に武器/キャラの育成勝負になるので、少し調整されたのかなと思います。
(ムゲンは特殊毎にシスとシロウで庇う回避、ネハンはスロウ連打で倒しました)
で、報酬。
まずは配布シス。
配布キャラ故に控えめな性能であることもわかるんですが、リンクアビリティがもったいない…
とはいえ、このイベントから始める人には十分使いやすい性能かなと思います。
あとはスキンとしての見た目の良さもあるかなと個人的には思います。
次に武器。
シスの武器ってこんな名前だったんだ…、っていうのが正直な感想です。
武器としてはよくあるストイベEX攻刃かなと思います。ただ、4凸できるのでゼノ武器を回収できていなければ、編成に入る余地はあると思います。
スキンとしてかっこいいので個人的には好きですね(数多のネタ見た目のストイベ武器を考えると、全然カッコいい)
最後に召喚石。
再召喚不可なのが…
効果量が控えめなんだし、再召喚不可にしなくてもよかったのではないかなと思います。
サブでも奥義ダメージアップが付いたらとんでもない化け方でしたけど、コラボじゃない石は優遇しないんだろうな、と思うことにします。
これを仕上げる前日にアルバハのヒヒのドロップ調整が告知されて、放置狩りしながらお気持ち爆発しそうでした()
やることをやる、って結論にして納得しましたが、見方によってはゲームの寿命を縮めるのでは?と個人的には思ったりもします。
残り少ない半額でもう一つぐらいヒヒを落としたいなと思いながら、ガチャピンとスクラッチに踊らされる日々を過ごするしかないのが悔しいですが、やりことをやりきりましょう。
ではまた次の記事で。